誰かの中に僕が少しでも存在したらいいなということ

since my child age with tree

今日、地元の友達と飲んだ。

彼が地元・富山に帰るのを1日遅らせてでも
オレと飲むことを熱望していたようで。

…というと、非常に変な話だけど、実際そうだった。

それだけでも泣けた。


小さい時から彼を知っているけど、
こんな年齢になって
東京で飲むなんて
昔は想像すら出来なかった。

そして、お互いに考えていることもそれなりに深くて、
お互いの考えや価値観を話すことなんて小さいときはなかったけど、
今じゃそれが当たり前のようになっているわけで。


いろんな話をしていて、ちょっと涙がこぼれそうだった。


こうやってこの街で
お酒を交わす日が来るとは思わなかったし、
ここまで生きてきてそれが現実としてあることが
心をくすぐっていた。



どんな状況であったって、
誰かのことを考えるっていうのは
本当に幸せなことなんだと思う。


結果的にそれがつまらないことだったり、
いらいらすることでも、
誰かの存在が別の誰かの意識の中に存在するっていうことって
幸せなことなんだと思う。



それがきっと"つながり"っていうものや
""っていうものなんだと思ったりするんだよ。


自分は考えることが好きで、
時にそれが苦しくて、
それ自体が足かせになって
倒れそうになるけど、
やっぱ誰かとつながっていたい気持ちは強いし、
特定の人ならなおさらだよ。



いつもライブに行っているTHE PINBALLSのメンバーもそうだ。
いつもtwitterで関わっている人もそうだ。


自分にとってかけがえのない人たちは
あたりを見回してみると、
たくさんいることに気付く。


もしかしたら、つらいかもしれないけど、
そういう人のことを考え続けることができる時間が
少しでも増えることが思いやりの1つの形なのかもしれない。




だから、今日会った地元の友達もその気持ちでいっぱいだ。


また会いたい。
彼には幸せになってほしい。


東京に戻ってきて、
また少し涙もろくなったかも。