思い出はいつの間にか芽を出し、花を咲かせ、実をつける。

Fafa Plush Puppet 3

今日は雑記。
ふと1年前にどんなブログを書いていたんだろう…なんて思って
探してみたら、こんなブログを書いていました。

日常の中で思い出の芽がいつの間にか出ていた

なんとも早いもので、
あの日から1年も経ったのか…という気持ちでした。

もうちょっと深く振り返って、
思うことを書いてみたいと思います。


1年前、元々うちの部署にいた先輩の送別会をしていました。

別の部署に行くことになり、
ささやかながらの送別会を企画しました。

お店の予約やら当日の手配やら。
いわゆる幹事を担当しました。


あの日はちょっと蒸し蒸しとした日で、
お店に入ると、ちょっと冷房が効きすぎていて寒かったのを覚えています。


他愛もない話で盛り上がり、
思い出話に花が咲く、というよりも、
ただの飲み会でした。


ブログを見ても、
同じことが書かれているので、
きっとその印象が強かったのでしょう。



あの日から1年。

他部署に行った先輩には今もお世話になっています。
ちょくちょく絡むこともあり、
何かと面倒を見てもらうこともあり。


こんな自分にいろいろと付き合ってもらっております。


振り返ると、思い出っていうものは
まさにあの日のブログのタイトルのように
"いつの間にか芽が出ている"ものなのかもしれません。


日常の中で知らず知らずの間に
思い出の種を蒔いていて、
振り返るとその種が芽を出し、花を咲かせ、
いつの間にか成熟した実になっている。

思い出っていうのは
知らない間に育っているものでもあると思います。



僕はあの頃に戻りたい、なんて一度も思ったことはないです。

あの頃はあの頃。
人間は今を生きています。

過去にしがみついたり、
過去焦がれても、
今は何も変わりません。

ただ目の前には常に変わっていく今しかありません。


その中で思い出というのは、常に過去のものです。

思い出は過去に残していった足跡みたいなものです。


自分の辿った道筋。


それにすがっていては
前には一歩も進めません。



すがるのではなくて、
過去へ残したままでいいと思うのです。

過去は、思い出は振り返るためにあるものです。

すがるんじゃないんです。
常に前を向き、ちゃんと進むために
ちょっと背中を押してくれるようなものだと思ったりします。


結局何が言いたいかというと、
あの日があったから今がある、っていうことで、
つらい日もあれば、そうでない日もあって、
その交互に織り成す日々が今の自分を作っているのだと思います。


それは人間誰しも同じで、
きっと同じ部署にいた先輩も、
自分の上司も、友達も有名人も。


きっと前に進める人は
思い出にすがっているんじゃなくて、
その思い出を思い出としてちゃんと過去に置いてきた人なのではないかな、と思ったりしました。