愛する人を失ってからの時間と思い出すことしかできない僕

cloud and high

雑記。

明日、5月11日はばあちゃんの命日だ。
あれからもう2年が経つ。

2年前からの思い出。
今日は雑記。


ばあちゃんがなくなった
その時は学生で
就職活動をしていた。

春先から始めたばかりの就職活動がうまくいかない時期だった。

自分の行く先に不安を感じつつも、
目に見えない期待の表裏一体を持ちつつ、
学業との両立にバタバタし始めた頃だった。


母親からの突然の電話。
どうしていいかわからなくなり、
あたふたした。

どうしても外せない企業の面接があったので、
それを受けてから実家に帰った。

実家に着いた時にはお通夜の後。
ばあちゃんはもう棺桶に入って
すやすやと眠っていた。

翌日、葬式をした。
そして、火葬場へ。

何度も何度も思い出を振り返るけど、
それ以上にばあちゃんの優しさだったり、
孝行らしいことができなかったことの方が最初に出てきた。


ばあちゃんが寝たきりでベッドに寝ていたときのこと、
当時、彼女がいないということを言ったら、
本気で心配して、お見合い相手を探そうと意気込んでいたばあちゃん。

あれは結局、オレが
「そこまでしなくていいよ。気持ちだけ受け取っておく」って
言って、その後も心配してくれていたっけ。



いつだって
孫のオレを気にしてくれていた。

いつしか寝たきりのばあちゃんが
話すこともままならくなって、
自分の声も届いているのかもわからなくなり、
コミュニケーションが取れなくなった。

病室に行っても、
話せるわけでもなく、
ただ手を握ってあげることしかできなくなった。


ただ手を握ってあげることだけで
自分の気持ちが少しでも伝われば、と
ただただ願った。祈った。信じていた。


ばあちゃんが死んでからも
どっかでばあちゃんが生きている気がした。

ただ遠くの違うところに行っているだけで、
いつかまた会えるなんて
思っていた。


思い込んでいた。
今もそう思っているかも。

Toyama's sky and mountain

人間、いつか死んでしまう。

誰もがそうだ。
永遠なんてどこにもない。

「今」がずっと続くことなんてない。

永遠ってもんがあればいいなんて思ったことなんてない。



愛する人はいつか死んでしまう。
離れたくない人であればあるほど、
いなくなった時の寂しさは大きい。


僕はそのいなくなってしまった愛する人に何ができるんだろう。


考えても、考えても
思い出すことしかできない。

あなたを思い出すだけ。


こうやって自分が年をとっていく度に
愛する人が少しずつ「今」からいなくなっていく。

その度に思い出すんだろう。


思い出があればあるほど、
胸に染みる寂しさは
心をさらっていくけど、
思い出があればあるほど、
その人のことを深く感じられる気もする。


愛と思い出について
ちょっと考えてみた。